2007年夏のサブプライムの嵐を契機に、03年から5年間の「世界好況」はいま、大きな潮目を迎えている。「10年成長」の黄金期を謳歌(おうか)してきた米国経済が「大きな曲がり角」に差しかかっているのは、何人も否定できないし、その深度は少し前の米連邦準備理事会(FRB)や米政府当局さらに国際通貨基金(IMF)など国際機関の想定をかなり超える。そうであれば、ここ10年の米国の素晴らしいパフォーマンスを支え、主導してきたとされる経済政策そして経済学について、久々に疑念が生まれてもおかしくない。 一方、日本経済に目を転じれば、1995年以来日銀は、400年以上の長い世界金融史上異例なFX の超低金利政策を12年半以上も続けているのに、政府はいまだ「デフレ脱却宣言」を出せずにいる。加えて成長率もいまや1%台に転落しているし、株価(日経平均株価)は95年末の約1万9800円に比し、現在は何と約1万3900円と3割も低い。日本はいまや「歌を忘れたカナリア」ならぬ「成長を忘れた経済」と化したままだ。 問題は「経済学」にあるのか「経済学者」にあるのか こうした世界経済の「潮目」にせよ、日本経済の「長期的停滞」にせよ、それらを「FX 取引 に診断」し、「有効な処方」を提示する重責を担うのが経済学である。しかし、政策運営の責にある政府や中銀をはじめ、分析や提言を行う経済学者、エコノミスト、市場アナリストさらに論評を行うメディアが、「経済学の本来の役割」に立ち戻って現実の政策評価を行い、「問題点」や「失敗」を指摘したり、正したり、「方向転換」を求めたりするといった言動をほとんどみせない。 これは経世学として230年の長い歴史的実績を積み重ねてきている経済学が、現実の経済運営をもはや評価できないとの「経済学の一般的危機」を示すのか。あるいは政策当局や経済学者・エコノミストさらにメディアなどが、経済学の本分(「原点」)を無視もしくは曲解さらに誤用し、「的確性に欠く分析」のもとに「誤った処方」を行っていて、それに気づいていないのか。 もとより筆者は後者の立場を採る。230余年の経済学の本分は「確」として不動で、この意味で経済学は有効性を保ち続け、基本的には現実経済をいまなお「的確に診断」し、「有効な処方」を提示できるからである。経済学がいま現実説明力や問題解決力を失い、不毛に陥っている最大の原因は、経済学者が「経済学の原点」から乖離(かいり)してしまった結果、経済学が事象の核心に迫れなくなったことに求められる。 たしかに、「現実科学としての経済学」は経済的、政治的、社会的な変動に敏感に対応すべく、変化することを常態とする。かつての古典派はケインジアンや新古典派、さらにマネタリストや合理的期待派へと代わり、それがいまニューケインジアン、といったように、「時代の主流体系(支配的パラダイム)」は交代するのが常だ。 経済のつまずきは「経済学の3つの原点」とのFX に起因する しかし、経済学には不動定理(永遠の「本分」)が存在している。いかなる時代であれ、経済を機能させ、そこで貫徹する基本原理や原点が存在する。だから、経済がうまく動いていない場合、それが日本の「長い停滞(stagnation)」にせよ、欧米経済のサブプライムに起因する「災禍(casualties)」にせよ、それら根因についてはこの「経済学の基本機能(原点)」に立ち戻って考え直し、症状の診断さらに処方を原点から問いただす必要があるのだ。ここで筆者は「経済学の原点」として次の3点の基本機能を挙げておきたい。 (1) 経済学は「価格メカニズム」が基本的に機能する市場があって初めて、適正な資源配分が可能と考える。 (2) 経済学は「所得分配」機能のもとに、社会成員間の公正な分配のあり方を方向づける使命を持つ。 (3) 経済学は「短期」だけでなく「中長期」の経済トレンドや構造を明かし、有効で整合的な政策方向を提示する機能を持つ。 以上の3つの「経済学の原点」に照らして、現状の経済が的確に診断されているか、資源配分が適正化されているか、そして所得分配が公正化に向かっているか、具体的に検討するのは次回に譲るとして、今回は「総論」として現在、経済学が現実説明力を失い有効な政策を提示できなくなっている状況について論じたい。
日米経済逆転と軌を一にした経済学批判論の台頭 「経済学は死んだ」――この大げさな表現はP.オルメロッド著「The Death of Economics」(1994)の翻訳書(ちなみに筆者の翻訳、ダイヤモンド社刊)の題名だ。 経済学が第2次大戦後に「社会科学の女王」と賛美され、畏敬(いけい)すらされつつ頂点に達したのは、60年代初めに一連の経済学者たちが「円卓の騎士」としてケネディ政権に参集したときだった。W.ヘラー、J.トービン、K.アロー、R.ソロー、G.アクリー、P.サミュエルソンなど気鋭のエコノミストたちが、ケネディ・ブレーンとして、経済学に裏付けられる経済政策を矢継ぎ早に提案し、法案化した。日本では下村治氏の「高度成長論」が池田勇人政権で現実化し、経済学が日本で実践的な政策科学としてやっと一歩を踏み出した頃でもあった。 その後、先進経済は根強いインフレに苦しみ、戦後経済学界を席巻したケインズ経済学は権威を失墜、これに代わってM.フリードマンの唱道するマネタリスト革命が70年代後半に奏功、80年代には合理的期待形成理論をベースにR.ルーカスらニューマネタリストが米国経済学の主導権を掌握した。 だが、80年代中頃から90年代中頃に日米経済の「逆転」が顕在化、「米国流経済学の時代は終わった!」との認識が先進諸国で強まった。経済学が指南役の座を占め続ける米国経済の凋落(ちょうらく)ぶりが、経済学をまるで指南役としない日本経済の躍進ぶり(95年頃までは平成不況は一時的とみられ、日米経済の逆転論が広く受け入れられていた)と好対照だったため、「経済学はもはや現実を説明できない」との経済学無力論や経済学批判論が燎原(りょうげん)の火のように先進諸国に広がったのだ。冒頭の英国のP.オルメロッドが「経済学は死んだ!」と叫んだのは1994年だ。 90年代前半には米国経済の深刻な退潮のもとで米国経済学も出直し的な試行が必至となった。そうしたなかでケインジアンやマネタリストを超克する「ニューケインジアン」が次第に多数派を形成し始めた。だが、これが米国経済を主導する指南役になるには、「実践的な成功」が不可欠だった。 米経済の劇的復活を演出したグリーンスパン流・ニューケインジアン理論の政策的適用 こうした状況の下、90年代半ばを分水嶺(ぶんすいれい)に世界経済に地殻変動が生起してきた。そのけん引役が米国経済の目覚ましい復活だった。90年代後半には実質成長率は年率で何と4%強で、ダウ工業株30種平均(NYダウ)は5000ドルから1万ドルと2倍に達した。最大の要因は2つだ。1つはIT革命のぼっ発と浸透だが、もう1つがより重要だ。それは機動的な金融政策をベースとするニューケインジアン理論が、「ヒトと時流」を得て、久々に米国を黄金郷(エルドラド)に導いたことだ。 ケネディ時代の「円卓の騎士」に代わって今度は「市場のマエストロ(名指揮者)」である。ここに「アーサー王伝説」ならぬ「グリーンスパン神話」が生まれた。グリーンスパンFRB議長は「市場心理学」をベースにニューケインジアン理論をトッピングした絶妙なさじ加減の「小刻み調整」によって、90年代後半のニューエコノミーを演出し、さらに01年春のITバブル崩壊、および同年の9.11同時多発テロの衝撃で墜落した米国経済を、短期間で復元させることに成功した。 グリーンスパン議長はまさに、60年代の黄金期にあったケインジアンが理想とした「ファインチューニング(微調整手法)」による経済政策の「ひな型」作りに、30〜40年を経て挑戦、実践的に成功・完成させた。とくに9.11後の米国経済復活はいわば「ニューケインジアン理論」と「市場心理学」のベストミックスであり、「目標設定」なき小刻みインフレターゲティング(インフレ目標)策の「隠された実験」だった。具体的にはFRBはこの間に、政策金利を戦後初めて1%という異例な超緩和状態(03年7月〜04年6月)にまで下げている。その前後の01年12月から04年11月の3年間は、政策金利2%以下の水準で、この間の利上げ、利下げはまさに「小刻み」の微調整手法の極意だった。しかし、サブプライムの急増は、まさにこの間に生起したのだ。